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【将来について本気で考えなかった】特に夢のなかった少年時代【第1話】

キレイな空

特に、不便や不満の無かった子供時代

私は、岩手県で生まれました。

もともと、両親が結婚して暫く経ってから生まれた一人息子が私でした。

なので、かなり可愛がられて育ちました。

 

岩手県でも田舎で、生まれた当時はまだ村でした。

(今は合併して「市」ですが)

今でも覚えているのは、家の庭で野球をしている事。

開放的で空気がおいしく、人々も優しいという事でした。

あとは、すごい量の雪と寒さですね(笑)

 

その後、小学校に上がると同時に、教育するには東京が良いだろうという事で

両親が転勤までして、東京に来ました。

後から聞いた話ですが、他の企業で言うところの「総合職」から「地域職」になったそうです。

当然給料も下がるし、それをもし今の自分が知ったなら絶対に止めます。(笑)

ですが、そうした決断をしてくれたおかげで東京で育ち、大学も実家から通えました。

 

わたしは、ビジネスの知識も経験もないくせに脱サラしました。

いきなり会社を辞めるという決断ができたのは遺伝もすこしは関係しているかもですね(笑)

 

いきなり、転校したので、知り合いもいないし本当を言うと

引っ越ししたくなかったんですよね。

だから、入学式で他の子たちは写真を撮っているのに僕は一人でした。

当然のことですし仕方ないんですが、

子供ながらに新たに人間関係を構築するの大変だなと思った記憶があります。(笑)

 

ですが、小学校で友達や先生に恵まれました。

特に小学校低学年の担任の先生は優しく大好きでした。

本当によくしてくれました。

今でも感謝しています。

こうして書いていると会いたくなりますね。(笑)

 

スポーツは合わないと肌で感じた小学生時代

小学校に入ると、小学校で少年野球チームがありました。

当時、野球が好きだった私は、

そのまま野球チームに入りました。

上級生の人がとても優しくて、かわいがってもらいました。

ここでも幸運にもかわいがってもらえたんですよね。

 

野球は、小学校6年生まで続けました。

友達も増えたし何より野球が楽しかったのを覚えています。

しかし残念ながら、小学校4~5年生ごろから、肩を痛めてしまって野球が嫌いになり

6年生になったくらいで辞めました。

 

あと指導者が変わって、それに伴って指導方法が変わり、

子供ながらに面白くないなって思ったんです。

 

小学校の6年生までは、

「野球選手になるのが夢です。」

などと恐ろしいことを考えていました。(笑)

↑子供なので仕方ありませんが

 

なので、卒業文集で「夢は何か?」を書くじゃないですか?

すごく悩んだのを覚えています。

 

先生に、「夢がありません。何書けばいいですか?」って本気で聞いていましたからね。(笑)

聞かれた先生も困ったと思います。(笑)

 

そのころから、「夢」ってなんだ?と心の奥で疑問を持ち始めました。

そして、それは社会人になってからも続くんですね。

ですが、それは後でお話します。

 

夢のない小学生時代

小学校では、勉強するように言われました。

宿題に厳しかったのを覚えています。

テストで悪い点を取ると怒られました。

悪い点数だと見せようか迷った思い出があります。

 

小さいときは、漢字が好きでした。

おじいちゃんからもらった難読漢字辞典をよく読んでマーカーで色を付けていました。

今考えると少し変わった子だったかもしれません。

 

夏休みの自由研究では、

ノートに難しい漢字をいっぱい書いてそれを提出したことがありました。(笑)

 

一時期、「漢字博士」と呼ばれていました。

今でも、テレビでクイズ番組がやっていると

結構忘れていますが、ちょくちょく当たったりします^^

 

 

ゲームは中学生ではやらないもんだ

今では笑い話ですが、

小さいとき誰でもゲームをすると思います。

我が家も例外ではなくプレゼンテーション2を小学校1年生の時買ってもらいました。

 

そんなに長時間遊んだ覚えはありませんが、両親はゲーム=勉強の邪魔

と思っていたようです。

 

小学校か中学校の時、両親が良かれと思って言ったことだと思いますが、

あるとき、両親から

「中学生になったらゲームをみんなやらないんだよ」

と言われました。

 

私は一人っ子だったので、周りに中学生の生活について教えてくれる人もおらず

すっかり信じていました。

「中学生ってゲームできないなんて詰まらないな~」と本気で思っていました。

やっぱり小さいときは

「両親=世界」

じゃないですか?

 

もちろん、嘘だったんですけどね(笑)

周りの友達やりまくってたし、

私も結局、中学生になってもゲームを続けました。

 

ですが、なぜか、あまりゲームは好きになれず、

その両親の言葉のおかげか今でもゲームはほとんどしません。

その時のプレゼンテーションは今でも家にあって、

緩衝材にぐるぐる巻きになって置かれています。(笑)

今では、両親がスマホのアプリでゲームをしています。

わたしは、最近実用書を読むようになったので、

親がゲームをし、子供が読書するという、

「いや、それ逆でしょ!」

と言われるような親子になってます。(笑)

時代の流れですね。

 

まあ、周りに比べて勉強していたので、

比較的、テストの点数はよかったです。

 

特に夢はなく、そのまま中学校に入った私ですが、

そこで、今でも続けている「楽器」「音楽」に出会うんですね。

 

チューバという楽器で低音担当です。

重いし、目立たず最初は全然好きじゃなかったです。

今では、大好きなんですけどね(笑)

吹奏楽で出会った、友達先生のおかげで

中学校は楽しかったです。

 

楽器との出会い

音楽に興味を持ったのは、中学校の入学式でした。

小学校時代の中のいい友達は、他の学校や、私立に入ったので

私はまた、一から友達作りをするしかありませんでした。

 

小学校で野球を辞めたので、中学校で部活何をしようかなと思っていました。

入学した中学校では、必ず部活に入らないといけない校則でした。

 

そうした中で入学式を迎え、

期待と不安が入り混じった複雑な気持ちでした。

 

その時、吹奏楽の演奏で迎えられました。

よく見ると、中学校の吹奏楽部の演奏でした。

 

この時に、「びびっ!」ときたんですね。

そして、なんにも楽譜も読めないし、楽器も知りませんでしたが、

「どうせ部活に入らなきゃいけないなら吹奏楽にしよう!」

と入学式のその場で決断しました。

大人になった今でも続けることになるとは、

全く想像していませんでしたが(笑)

 

 

一番楽しかった中学時代

中学校は、楽器と勉強に一生懸命になりました。

吹奏楽部で、友達も増え楽しかったのを覚えています。

 

今人生を振り返っても、一番楽しかったのは中学時代です。

楽器でやりがいを得ていたし、

その中で友人も得ることができました。

今でもつながりのある人は中学時代の友達が多いです。

 

勉強は、好きじゃなかったですが、良い大学に入学するためにそろそろ本気を出さないといけないと

中学生の時から心の中で感じ取っていました。

周りには頭がいい友達が多かったので、焦ったことがありました。

 

吹奏楽は夏に大きなコンクールがあるので

3年の夏まで部活でした。

 

それもあってかあまり受験はうまくいきませんでした。

本当は有名な都立高校に行きたかったのですが、

内申点が全く足りず不合格。

そして、なんとか私立の進学校と言われていた学校に入りました。

 

次回予告

公立の中学校に入り卒業。

そのまま「進学校」と呼ばれる高校に入りました。

 

次回は、高校生活と

夢の「大学(入れば将来が安泰らしい)」生活

について話していきます。

 

だけど、夢でもなんでもない全然楽しくない大学生活だったんですよね(笑)

結構、皆さんも大学に入って「思っていたのと違う」と思いましたよね?(笑)

 

それにプラスして、どんどん嫌なことが私に訪れるんですね…

 

それは、第2話でお話ししますね。(笑)

ここまで読んでいただきありがとうございました^^

フォロー・拡散お願いします^^

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